佐藤陽は、父・清治とともに竹製組立箱を発明し、その材料となる竹の加工機械を事業化するため、1940年、佐藤竹工機械製作所を創業しました。19歳の時でした。
戦後、東南アジアや南西アジアの復興のために竹工機械が輸出されるようになると、佐藤陽は、自らフィリピンやインド、ミャンマー(当時、ビルマ)、タイ等に赴き、技術指導を行いました。そのたびに佐藤陽は、これらの国でたくさんの人々から支援を受けました。
その後、佐藤陽は、国産初のハンドラベラーを開発し、1962年から生産、販売を開始しました。ハンドラベラーは、スーパーマーケットの成長とともに需要が拡大し、現在でも小売業界の必需品として世界各国で使用されています。
1970年代に入り、バーコードが注目されるようになると、佐藤陽は、バーコード用ハンドラベラーをいち早く提供し、バーコードの実用化に協力しました。そして1981年、世界初の熱転写式バーコード用電子プリンタを開発して、バーコードの普及に貢献しました。現在、バーコードはあらゆる分野で使用され、誰でも目にするものとなっています。
1986年、佐藤陽は、マレーシアとシンガポールにハンドラベラーと電子プリンタの生産、販売子会社を設立しました。現在は、タイ、ベトナム、インドネシア、インドにも子会社があり、多くの人々が働いています。
佐藤陽が事業に成功したのは、東南アジア、南西アジアの人々のおかげです。竹工機械の技術指導に赴いた時、マレーシアやシンガポールに子会社を設立した時、多くの人々が協力し、支えてくれました。佐藤陽は、その時の恩にいつか必ず報いたいと考えていました。そして、1996年、佐藤陽は個人資産を投じて、財団法人サトー国際奨学財団を設立し、ASEAN及び南西アジアの18ヵ国から日本に留学する学生及び日本から留学する学生に対する支援を開始しました。
2001年、佐藤陽は思い半ばで急逝しましたが、その志は現在も引き継がれています。
佐藤陽が創業した佐藤竹工機械製作所は、株式会社サトー(現在のサトーホールディングス株式会社)として業容を拡大し、東証1部上場企業となっております。2015年には創業75周年を迎え、世界20カ国以上に子会社を有し、社員数4,000名を超える規模に成長しております。
また、佐藤陽が設立した「財団法人サトー国際奨学財団」は、2009年に公益財団法人に移行し、2010年には名称も「公益財団法人佐藤陽国際奨学財団」となりました。そして2016年には、設立20周年を迎え、設立理念にそって、新たな活動を開始しました。